春に向かう日々   〜季節も自分も〜

f:id:inotyan1208:20170304184911j:plain向日神社に咲きはじめた河津桜

この前よりも広がった

つぼみも膨らんだ

一歩ずつ春に向かう

 

ふと考えた。
今日は良くない日だったとか、
いい日だったとか、
決めつけは良くないなあと。
どんな日でも、
その日自分が辿って来たのだから、
それなりに評価してやらないと。
ダメな日はダメな自分なのか?
毎日ダメな日だったと思えば、
毎日ダメな男になってしまうではないか。
わからないでもないが、
もう少し評価してやらないか。
もう少し自分を評価してあげよう
 
と。

笑顔  〜一瞬で元気に〜

体調の悪さで、

できればやめておきたかった散歩。

案の定これまでにない痛みで

歩くスピードがあげられなかった。

20%の確立に当たってしまい、

ピリピリだが雨も。

うわー、嫌なことばっかりやと思ってる

 そんな時、

 

スーパー近くでガードマンのかたが、

「寒いねえ」

と声をかけてくれた。

買い物に来たときいつも声をかけてくれる人

挨拶をしてくれる人だ

 

「雨も降って予報と違って困りますねえ。」

「お仕事たいへんですねえ、」

 

そのやりとりで笑顔になれた。

嫌な気分が晴れた。


少し元気出た。

ここまではっきりしてるのに・・・  〜あさましさの縮図〜

小学校の体育館から

大きなシュプレの声

多分卒業行事の練習か?・・・

 

今、ニュースを賑わす

あのいまわしい

幼稚園の教育勅語唱和や

偏向した宣誓

 

「教師が言わせた」

誰もがそう思う。

だから悪い?

 

内容が良ければ

「言わせる」「台詞を作る」ことはいいのか?

現場では当たり前におこなわれる。

子どもの言葉・気持ちに任せられるのなら

それが一番いい。

そういうあり方をしなければいけないと思う。

だから「言わせた側」の責任なのだ。

 

 

彼らは「偏向教育」だと組合を批判した、攻撃した

だったら今のあの有様は何なんだ?

自ら問うてみろ!

ハナからそんなことするわけないか。

 

いろんな内閣の国会答弁をみてきたが

今の人たちの一番許せないのは

人を人とも思わぬ横柄な態度である。

何様なのか?

こういう人たちが今の日本を好き勝手に動かそうとし、

おこぼれに預かりたい人たちは

過去の自らの主張など簡単にかなぐり捨てて

しっぽを振る

こう言う人たちは、決して矢面に立たないことも共通している

 

変質したのではない。

元々の資質なのだ。

あさましいなあ。

 

こんなわかりやすい

利権の構図さえ

うやむやを決め込むのか?

 

教育のあり方

政治のあり方

 

今こそ変えねば

咲いた   〜そこまで来てる〜

3月に入った。

「暖かくなる」予報ほどではなかったが

いつもの散歩コースに

春があった。

 

咲いていた。

 

「じいじの名残」

腕パンパンを感じながら

気持ちよく歩けた。

 

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「じいじ」の実感  〜たまりませんなあ〜

三男が三ヶ月になる赤ちゃん連れて寄った。

それだけで「じいじ」はめろめろ準備

「昼食べに行く間みてて。」

待ってましたと

あやす だっこする 写す・・・・

笑うとかわいい

「うんうん」おしゃべりもかわいい

泣いても かわいい

「おいでおいで。」と

だっこすることしばし

 

肩にもたれかかって眠る姿など

もうたまりませんなあ。

 

ふだん遠くに居る孫たち

帰ってきたときは

「じいじ」を実感する

腕がパンパンになって なお

うれしや たのしや・・・

 

次はいつだ?

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一気に読んだ   〜「POPEYE」 続報〜

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一気に読んだ。
とはいっても 知っている人だけ
それぞれの二十歳がありそれぞれの感じ方がある
思ったのは
載ってる人(おれが読んだ人)は
 一生懸命だったこと
 楽観的だったこと
 人とつながっていたと言うこと

もう一つは
女の人が圧倒的に少ないこと

ドラマティックな人
あるいは記事になる人が
女性は少ないと言うことか
それとも
今のイメージとかけ離れたことを
明らかにできないのか・・・・

考えすぎかな?

久しぶりに夢中で読んだ。

細かい文字も
「道具」をつかって乗り切った。

全体は
若者向けのテイストだったかな?