ふと思う

毎日のように

今日はここが・・・

明日には治っているだろうかと

毎日のように体のあちこちに劣化が進むのを感じながら

思ったことがある

予備校も含め実家を出て生活する日々が

今に至るまで続く 

もう50年である

その間

父や母にも

我が子への思い・悩む・不安があったのだと

今更のように思う

自分の身体の変調への不安も 間違いなくあったのだと

今ならわかる

時々の電話や便りなどには書けないものがいっぱい

「何もない」ことは「何もないこと」なのだと

勝手に思い込んで 義理を欠いたのは俺だった。

同居してくれた長兄

近くに住んでいた姉のおかげで

間接的には聞けていたものの

本当のところを理解など到底できていなかった

「旅行に連れて行ってあげる」など

それが「親思い」であるかのような錯覚であったとわかる

どこどこがしんどいと言っても

「病院に言って診てもらったら・・・」

簡単にいうが

それが側から見るほど「簡単」なものでないことは

今よくわかる

行っても行っても良くならないと感じればなおさらである

何度かの入院をへて 亡くなった知らせも長兄から

しんどい身体なのに長男の結婚式に出てくれた母は

同居していた孫の結婚が決まった後に

亡くなった

 

離れて暮らすことは不可避とはいえ

決して「孝行」だったなど言えるはずもないと感じる

 

間も無く父母の年齢に近く頃

その思いは限りなく深くなるにちがいない

自らの健康や命への不安もまたしかり

 

今取り返せることなど何もない

あえていえば

自分自身の身体 ・命

自分を精一杯生きることか

 

ふと そんなことを 思った