笑顔  〜一瞬で元気に〜

体調の悪さで、

できればやめておきたかった散歩。

案の定これまでにない痛みで

歩くスピードがあげられなかった。

20%の確立に当たってしまい、

ピリピリだが雨も。

うわー、嫌なことばっかりやと思ってる

 そんな時、

 

スーパー近くでガードマンのかたが、

「寒いねえ」

と声をかけてくれた。

買い物に来たときいつも声をかけてくれる人

挨拶をしてくれる人だ

 

「雨も降って予報と違って困りますねえ。」

「お仕事たいへんですねえ、」

 

そのやりとりで笑顔になれた。

嫌な気分が晴れた。


少し元気出た。

ここまではっきりしてるのに・・・  〜あさましさの縮図〜

小学校の体育館から

大きなシュプレの声

多分卒業行事の練習か?・・・

 

今、ニュースを賑わす

あのいまわしい

幼稚園の教育勅語唱和や

偏向した宣誓

 

「教師が言わせた」

誰もがそう思う。

だから悪い?

 

内容が良ければ

「言わせる」「台詞を作る」ことはいいのか?

現場では当たり前におこなわれる。

子どもの言葉・気持ちに任せられるのなら

それが一番いい。

そういうあり方をしなければいけないと思う。

だから「言わせた側」の責任なのだ。

 

 

彼らは「偏向教育」だと組合を批判した、攻撃した

だったら今のあの有様は何なんだ?

自ら問うてみろ!

ハナからそんなことするわけないか。

 

いろんな内閣の国会答弁をみてきたが

今の人たちの一番許せないのは

人を人とも思わぬ横柄な態度である。

何様なのか?

こういう人たちが今の日本を好き勝手に動かそうとし、

おこぼれに預かりたい人たちは

過去の自らの主張など簡単にかなぐり捨てて

しっぽを振る

こう言う人たちは、決して矢面に立たないことも共通している

 

変質したのではない。

元々の資質なのだ。

あさましいなあ。

 

こんなわかりやすい

利権の構図さえ

うやむやを決め込むのか?

 

教育のあり方

政治のあり方

 

今こそ変えねば

「じいじ」の実感  〜たまりませんなあ〜

三男が三ヶ月になる赤ちゃん連れて寄った。

それだけで「じいじ」はめろめろ準備

「昼食べに行く間みてて。」

待ってましたと

あやす だっこする 写す・・・・

笑うとかわいい

「うんうん」おしゃべりもかわいい

泣いても かわいい

「おいでおいで。」と

だっこすることしばし

 

肩にもたれかかって眠る姿など

もうたまりませんなあ。

 

ふだん遠くに居る孫たち

帰ってきたときは

「じいじ」を実感する

腕がパンパンになって なお

うれしや たのしや・・・

 

次はいつだ?

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一気に読んだ   〜「POPEYE」 続報〜

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一気に読んだ。
とはいっても 知っている人だけ
それぞれの二十歳がありそれぞれの感じ方がある
思ったのは
載ってる人(おれが読んだ人)は
 一生懸命だったこと
 楽観的だったこと
 人とつながっていたと言うこと

もう一つは
女の人が圧倒的に少ないこと

ドラマティックな人
あるいは記事になる人が
女性は少ないと言うことか
それとも
今のイメージとかけ離れたことを
明らかにできないのか・・・・

考えすぎかな?

久しぶりに夢中で読んだ。

細かい文字も
「道具」をつかって乗り切った。

全体は
若者向けのテイストだったかな?

ターニングポイントは 二十歳?   〜POPEYEに触発されて〜

f:id:inotyan1208:20170226195955j:plainテーマに惹かれて本屋で手に取った。

「字が小さ!あかんやめとこか。」

で、

飛び込んできたのはこの人の記事

これが決め手。

 

日曜日の夕飯の後、

テレビもつけずに「読んでみよう。」

そんな気になる。

 

いろんな二十歳の頃があるものだ。

共通するのはまだ定まっていないか

定まる土壌ができつつある年   ということか。

 

読みながら「おれは?」と思う。

見知らぬ静岡の地で学生生活を始めた一年目

一浪だった自分はその12月に二十歳になった。

 

かみさんと知り合った

自分の将来を教師と定めた

高校時代の決心がより強い気持ちになった。

学生運動だけは関わるなよ。」

高校時代の担任の先生から言われた一言を

半年も経たないうちに

半分は巻き込まれて・・・・・

 

   ヘルメットにゲバ棒姿の

   「占拠」とか「殲滅」などを看板に書き殴った集団に

   「自己批判書を・・・」迫られる中で

   「この人たちの暴力でのやり方は人間としておかしい」との確信から

自然と道を選んだ。

考え方の基本が固まり今に至っている

 

そういう意味で

「二十歳が」ではなく

その場に身を置いたのが「二十歳の時」だったといえる

ターニングポイントで有ることに間違いはない。

 

久しぶりに47年前を振り返らせてもらった。

 

今をどう生きる?

今日をどう暮らす?

 

今はそれを思う。

 

見つけたもの   〜ウォーキングコースにて〜

この頃、かみさんと歩きに出ています。いつも同じで向日神社までのぐるりです。

同じコースでも、毎日見つけられるものがあります。

今日はこの時間青空がきれいでした。

河津桜のつぼみも膨らみ始めました。

鳥たちはえさをついばんだ後

おしゃべりに夢中です。

 

明日もまた・・・・・・ここを歩きます。

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