治ってきたみたい  〜えー?まさかの急展開〜

かみさんがいつもよりずいぶん早く起きてきて

「お父さん、治ってきたみたいに思えるんだけど・・・」

夕べ

「声がおおきくなってきたなあ。」

「そう?うれしいわ。」

こんな会話で「回復近し」とは思っていたものの・・・

まさかその次の朝になんて・・・

洗濯始めたり布団干し始めたり・・・

 

「お父さん、AEONいってなにかおいしいもの食べよ。」

子どもたちに連絡

心配して声をかけてくれた飲み友達にLINE

接骨院では先生に報告

「良かったですねえ。」

 

二ヶ月と10日間

きつかった。

なによりも

良かった!

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冬帰りの虹      〜超えれば 春〜

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真冬に感じる日。

雨とお日さんがいっしょに、
ならばきっと「出るはず」

と思ったら案の定
しかし、この位置に出るとは・・・

 

それにしてもこの冷たさ

 

だからこそ出てくれたのか

 

 

 

明後日(小学校の卒業式かと思うのだけど)にはどうぞ暖かく。
サクラはまだ遠いなあ。

今ならわかる   〜親の気持ち・子の気持ち〜

用事のため一泊した息子。
交わしたのは二言三言。
 
オレの後ろすがたをどう感じたのだろう。
背中を丸めて、
髪は手入れせず
朝から何やらパソコンに向かう親父に
違和感を覚えてしまったろうか?
衰えたなあと感じてるかも。
 
そういえば有るとき
親父が弱くなったのを感じて
ものすごく寂しくなったことがあった。
風呂場で上がって来れない
旅行には行きたくないと母を困らせた
歩くスピードが衰えた
親の弱さ・衰えを見るのは
忍びなかった
 
その時
親父のほうはどう感じていたのだろう。
否が応でも「老い」「衰え」を
感じざるを得ない我が身を
寂しく悲しく思ったはずだ。
子であった頃には感じなかった事がいっぱいある
親というものはいつでも
しっかりとしてるものと思っていたが・・・・
 
今ならわかる
 
おそらく父も母も、今のオレと同じ気持ちで居たのではないだろうか。
 
その時の自分の立場を息子たちに置き換えたとき
今はまだ強がって虚勢もはることはできるが
やがてそれもかなわなくなってしまうのだろう。
 
強く生きるというエネルギーを
自分の中に作っていかねばならない

念入りに祈る  〜裏山 地蔵様 お線香〜

昨日よりも体調がいいことが

何よりうれしく

光明寺の裏手へ

懐かしのため池  お墓  お地蔵様

境内でお線香

合掌

この頃は

自分たちの健康のことをお願いする

次に子どもたち一家のこと

孫の顔思い浮かべながら念入りに

そして

親族のこと

 

春へ 春へ

 

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せっかくの青空なれど   〜 日曜日に それはないだろう 〜 

せっかくの青空、

暖かい日和なのに

どことなく体調が悪く

休養の一日となった

 

それでもまだマシだった午前中

ゆっくりゆっくりのウォーキング

 

お気に入りの西山と

いつもの河津桜と・・・・

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大震災の日に  〜 春よ 来い 早く来い 〜

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ようやく幹全体に花が咲きそろい始めた河津桜

 

 

今日は3月11日

大震災の日は愛媛で迎えた

長男に二人目が生まれたので会いに行っていた日だ

 

繰り返し流される映像に

「大変だなあ。」

と 思いつつ

どこか ドキュメントを見るような

そんな思いで、それでも目が離せない一日だった。

 

6年、繰り返し報道される

復興の現状

被災者へのいじめ問題

心も身体もものも暮らしも

まだまだ足りない現状をいったい誰が作っているのか

誰がもうけのえさにしているのか

明らかにしないで解決はないだろうに。

 

今日は震災関係の報道を一切見なかった